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内藤 忠俊(ないとう ただとし、生没年不詳)は、江戸幕府旗本。内藤右京進正成の長男。新五郎、図書助。弟妹に内藤織部正正成、内藤正重室、鈴木伊直室、揖斐政景室。子に内藤正信室。 武蔵国栢間第3代領主。父の遺領5000石のうち、2000石を弟の織部正正成に分知する。書院番となるが、長年の不正を理由に寛永8年(1631年)2月4日に改易となる。のちに内藤正成(四郎左衛門)の三河以来の武功が評価され、忠俊の妹が内藤正重(外記)に嫁し名跡を継いだ。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「内藤忠俊 (図書助)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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